いろいろなことに挑戦する記録

二児のワーママ、人生を合理的に進める記録

【書評】★5 この世界で働くということ

この本が発売されたとき、「仕事を通して神と人とに仕える」って具体的にどういうことだろう?と考えた。聖職者、牧師、伝道者として?教会に奉仕するとして?いや、それだけではない。

筆者はNYでクリスチャンのビジネスマン向け集会を開いていたそうだ。人種のるつぼアメリカの、さらに混とんとしたニューヨークで、クリスチャン人口は3パーセント。そんなマイノリティが”現在勤めている仕事を通して”キリストの愛を伝えればいい。話は実にシンプルだった。 

 

この世界で働くということ 仕事を通して神と人とに仕える (いのちのことば社)

この世界で働くということ 仕事を通して神と人とに仕える (いのちのことば社)

 

 仕事、というと私は「苦痛なもの」と考えてしまう。病棟時代も毎日がつらく、仕事が楽しいって言ってるやつはキチガイだと本気で信じていた。それほどに毎日仕事をしたくなかった。

しかし聖書において創世記の最初の3章までで、神の「仕事」が見られるーーそして「見よ、それは非常に良かった(創世記1章31節)」と評価した。アダムにそののちのことを任せたように、私たちはその箱庭に生きて、箱庭をより良いものにしていく使命が与えられている。私たちクリスチャンが教会以外で働くことの意義は、箱庭を維持する使命があるからである。つまり、教会に関することだけをやっていたら、断然箱庭は発展しない。だから、今の仕事は続けていてもいい。と筆者は述べている。

世界の中でクリスチャンは3分の1程度。3分の2はノンクリスチャンである。そんな中で仕事をするにあたって、私たちは常にキリストの愛をまとって真摯に仕事をすることが、最も神を伝道することにつながると書いているのは印象的だった。ビジネス相手の宗教は問わず、ただ自分自身がキリストの代理人として意識して仕事をすること。それは他者に対する礼儀であったり、公正な判断であったり、悪事を働かないことであったり、上に立つものなら社員に施しをすることであったり。

以前読んだ「あなたが世界のためにできるたったひとつのこと」でも書いてあったが、人に仕えようとするときは必ずしもその最前線にいる必要もなく、お金をたくさん稼ぐ能力があるならその賜物を使って成功をおさめ、それを世界に還元していくことも箱庭をよくするための働きといえるだろう。

 

wakemeup.hateblo.jp

本書の最後のほうに考えさせられる章があった。「なぜ仕事はつらいのか?」という問いかけである。お金や昇進、生活のしやすさ、名声を目当てにすると、それが「偶像崇拝」となる。そしてそれに常におびやかされ、その不安定さにつらいと思う。

人は二つのものに仕えられない(マタイの福音書6章24節)ので、”神のために仕事をする”と自分の活動のすべてが自分の手を離れ、常に揺り動かされる給料や昇進、生活のしやすさ、名声を手放し、私たちの不動の岩であられる神様にすべてゆだねられる。仕事においても、神様ファーストでいられる。「仕事に対する考え方のシフトチェンジ」というわけだ。

私は聖職者でも何でもない、一般信徒のヒラのヒラだ。仕事も転職したばかり。特にこれと言って給料も高くない。でも生活はできるし、ありがたいことに貯金も出来ている。贅沢も回数は少ない。大学生の時は「世界を変えるんだ!」くらい意気込んでいたが、今の仕事は私にちょうどいい。

さて今度は、この仕事を通して、神の箱庭をいかに手入れすることを考える時が来たのである。もしかしたら仕事場の人は主から遣わされた人たちかもしれない。むしろ主かもしれない。

主に仕えるように、人にも仕えることを、この先も続けていきたい。そう思わされる良書であった。