いろいろなことに挑戦する記録

二児のワーママ、人生を合理的に進める記録

母「へっへっへ~今日は悪いことする日だぞ~」

娘「駄目だよママ、悪いことはしちゃいけない」

 

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わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、それに応じてはならない。

もし彼らがこう言っても。「一緒に来い。人の血を流すために待ち伏せしよう。 咎なき者を、理由なしにひそかに狙い、よみのように、彼らを生きたままで呑み込もう。全き者たちを墓に下るもののようにして。値打ちのあるものは何でも見つけ出し、奪ったものでわれわれの家を満たそう。われわれはくじで分け合い、皆で一つの金入れを持とう」

わが子よ、彼らと一緒に道を歩いてはならない。彼らの通り道に、足を踏み入れてはならない。彼らの足は悪に走り、人の血を流すのに速いからだ。

新改訳2017 箴言1:10-16

 

Twitter界隈の子育てクラスタではたまに回ってくるリツイートがある。それは時々はガス抜きとして悪いことをしよう、というやつだ。いつもいつも正しい毎日を過ごしていては疲れてしまうから、たまにさぼることもしよう!という趣旨のことである。

タイトルにある母とは私のことだ。疲れるし土日に買い物もいけないし、仕事の後に行った先のスーパーでおいしそうなポテチがあったから買ってしまったのだ。

我が家では普段夕ご飯のあとにお菓子は食べないしきたりになっている。その代わりご飯を作っている間に少しだけお菓子を食べていいことにしている。

そんな時に娘から帰ってきた返答が上記の言葉である。

そしてそのあと、聖書通読(一日一章ずつ聖書を読んでいくこと)でちょうど旧約聖書箴言1章を読んだ。まさに、悪いことを誘われたが、娘は毅然として断ったのだ。

 

これから先、小学校中学校になって成長したときに、近しい友達に「悪いこと」を誘われたら、彼女はこのように断れるだろうか?同調圧力に負けて、悪い道に入ってしまわないだろうか。杞憂に近い不安がよぎったが、さすがに毎週教会学校に通って悪いことはしちゃだめだと言われているだけあって、その辺りはずいぶん図太い。

夕飯後にポテチを食べることについては善悪の境界線の定義が大人と子供で違っていただけかもしれないが、いつもダメと言われている良くない誘いを断れる娘を誇りに思う。

まぁ、ポテチはみんなでおいしく食べたんですけどね(笑)