いろいろなことに挑戦する記録

二児のワーママ、人生を合理的に進める記録

ルソー エミール(NHK100分de名著より)

 ルソーといえば「社会契約論」。高校の現代社会どまりの認識が私にそう語りかけていた。それを覆されたのは保育士試験の勉強をしていた時だ。保育原理の中で教育の基礎を築いた重要人物としてルソーがあげられていたのだ。「エミール」。どうやらそれは教育論を記述したものらしい。

 本来ならば原著を読んで吟味するのが筋というものだが、世の中は便利なもので、100分De名著というNHKの番組でエミールが取り上げられたものを書籍化したもの、つまりエミールの端的な解説本があるということで手に取ってみた。それが今回紹介するこの書籍である。

 

 

 原著エミール(日本語訳は上中下巻にもなる!)は、フランスの家庭教師が赤ちゃんの頃からエミールという名の男の子を大人になるまで教育しながら育てるという小説であり、家庭教師の教育方針こそがルソーの考える教育を表したものだそうだ。大まかに分けて生後~乳児期、乳児期~思春期前、思春期~独立・結婚までを”ストーリー仕立て”で分けている。

 はたしてこの本のどこが、保育士試験に出るほどまで保育の源流をなしているのだろうか?おそらく生後~乳児期におけるアタッチメント理論のベースとなったことが大きいのかもしれないと考える。今では信じられないが、当時上流階級の子育ては完全に乳母に預け、その乳母も泣いたときに授乳するとき以外はしばりつけて放っておいたというのが普通だったそうだ。それをルソーは「母親自らが乳を与え、育てるほうがよい」とした。それが、とにかく1700年代当時は画期的な考えだったそうだ。なるほど確かにこの考えが生まれなければ愛着理論の確立はもっと遅れていただろうし、現代の保育ももっと違うものになっただろう。

 エミールの中で、家庭教師は子どものエミールをひたすら野原を駆け回らせ、教育らしい教育はしばらく行わなかった。様々な自然現象から子どもらしい好奇心と疑問が浮かんだときにそっと知識を促した。それはまさに現代のような詰め込み教育ではない、必要なものだから知識を得る、といったところだった。本当に来るかどうかわからない将来のためにとあれやこれや必要のないものまですべて押し付ける今の教育とは全く異なる。読者として、目からうろこだった。

 ただ、もちろん原著エミールが書かれた時代はプロテスタントカトリックが争っていた時代、1760年ごろだ。家庭教師(≒ルソー)の描くエミールの「幸せ」というのは農夫になり、嫁をもらい、家族を作り、隣人や町の人の助けをし、自分のみならず身近な他者も幸せになることである。「幸せのための人生の軸」もキリスト教的だ。そのため現代の人間にまるまる適応できる考え方ではないかもしれない。それでも筆者の言う通り、保育とは、教育とは?ということを考える一助になるだろう。

 自分のために生き、みんなのために生きる――エミールは15歳くらいまではひたすら自分のために生きるよう育てられた。自分のためとは、生きるため・食べていくためのスキルということだ。それを身に付けた後になって初めて、エミールは他者のために何ができるかを考えさせられた。よく日本人は周りに気を配りすぎて自分をすり減らしてしまうが、エミールは逆だ。自分をまず満たしてから、あふれた分で周りを幸せにする。エミールが生まれて300年近く経つが、今こそエミールを見習い、他者も自分も大事にする生活をしていくべきではないだろうか。