いろいろなことに挑戦する記録

二児のワーママ、人生を合理的に進める記録

【書評】★5 働きながら、社会を変える。

社会貢献には様々な方法があると以前の書評で述べた。

・自分が最前線に立つ(NPONGOで専門職として働く)

・最前線の後方支援(NPO等で広報や経理などで働く/お金を動かすことが最前線のことももちろんある)

・寄付でNPO等を支援する

・みんなに知らせることによってNPO等を支援する

おおまかにこのように分けられる。今回読んだ本の非常に面白いところは、「働きながら」社会を変えるというタイトルである。そう、自分の本職を持ちながらも、週末開いている時間などに最前線で働くという新たな動きだ。そして本当に注目するべきことは、著者が若いうちから「社会に貢献したい」と思い、実際に足を運んで行動するところだ。エネルギッシュで心優しい印象を受けた。

本書は、貢献しようと思った経緯、実際に足を運んだ経験談、そこから分析された貢献できること、実際どのようなことを行ったかに分けてつづられている。経験談までは非常に小説的に進むのだが、分析は金融マンらしく感情的ではなく理論的で、決して本書が理想を語るのみに終始しないところが私の興味を鷲掴みにした。

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む

 

筆者らのNPOは事前に「こんなのが必要だろう」「これはどうだろう」と仲間とともに議論を重ね計画を立ててきたが、実際に提案してみるとどれもはねのけられたそうだ。こういった提案は難しい。二番煎じでなく現場のニーズに沿ったオリジナリティあふれるものを見出さなければならないプロセスは、研究者のようだ。

筆者はそこで児童養護施設に1週間寝泊まりし、また定期的に顔を出して児童養護施設そのものの問題点を分析し、見つけ出した問題に対して「自分の得意分野」を生かした貢献を果たしている。金融マンが児童養護施設に見出した解決できそうな問題とは、運営費(人件費、施設費など)のやりくりであった。まさに、上から目線の提案でなく、現場目線の提案。事件は現場でしかわからないのである。

児童養護施設のほとんどが助成金頼りのところを、寄付でこの程度集めればさらに助成金がもらえて…と数字で分析するところが、筆者の言う自分の仕事を生かした貢献なのだと読みながら納得した。たいてい福祉の仕事をしている人は、この手のお金のやりくりには疎い。経理や金融関係のプロが来てくれたら、かなりありがたいだろう。

 

はじめにつづったように、筆者のNPOは週末や夜などのパートタイムでの働きによって成り立つものであり、いわば副業やプロボノと呼ばれるものに近いと考えられる。自分の仕事の分野だけにとどまらず、その技能は他分野にも貢献できる点がある。

もし今職があるけれど誰かのために何かがしてみたいと思った方には、本書を通していいヒントが与えられるのではないだろうか。

 

私はこんな本も以前読んでいた↓

wakemeup.hateblo.jp

 

【仕事】手足口病について

爆発的に増える手足口病の超簡単な備忘録。

 

手足口病とは?

ウイルス(エンテロウイルスやコクサッキーウイルス)によって発症する疾患。

ウイルスも多様なため、何回もかかることもある。乳児時期はかかりやすく、かかることで免疫をつけていく。

夏に流行すると言われているが、昨今季節関係なく流行する。

ウイルスに感染してから3~5日で、手のひら、口の中、足の裏に発疹(★ぶつぶつ、見かけは水いぼに似てる・かゆみはない★)ができる。最近は臀部、肛門周辺、四肢にもできる。

★発熱は約3分の1にみられる★熱がないけれど受診して診断つけてもらって登園届を出さなければならない園もあり。ぶつぶつだけで病識が薄い保護者への説明は丁寧に。

ほとんどが数日以内に痂皮化していく。色素沈着も見られるが、長い経過のうちに消える。

★コクサッキーウイルスA6というものに感染すると、爪が変形し(爪が真ん中から割れたような感じ)脱落することもある★保護者や保育者がこれを知らないとびっくりするので注意。

 

 

治療は?

ウイルスによるものなので対処療法のみ。

熱があれば解熱剤を使用しながら、口腔内にある場合はご家庭で食べやすいものを提供するなど。合併症があるため、発熱が2日以上、食事をとれない、脱水、ぐったりして意識がないなどの場合はすぐに受診。

 

うつるの?

飛沫、接触、糞便より感染する。

乳児のよだれ、鼻水は特に気を付けるべき。おもちゃのなめ回しから感染する。

症状がおさまってからも2~4週間は感染源となりうる。

また、保育者の衛生意識の低さから、ウンチ処理の後手洗い不測のため伝搬してしまうことも。

 

★日ごろからの手洗いを大事に!!★

 

出席停止は?

ウイルス伝播が数週間にわたるので出席停止が非現実的。なので(自治体によって変わるが)食事が取れて熱がなければ出席OK。

出席停止がないためウイルスを排出したまま登園⇒感染が広がるパターンあり。

 

 

参考資料

手足口病Q&A(厚生労働省HP)

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/hfmd.html

国立感染症研究所 手足口病とは

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/441-hfmd.html

【書評】★5 「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか

助けてが言えないーー援助希求力(ヘルプシーキング)に乏しいと言ってしまえば「個人の責任(能力がない)」になってしまうけれど、様々な理由から助けてなど一言も言い出せない(あるいは言うという選択肢がない)人たちを、「助けてと言われないから放っておいていい」のだろうか。

本書は主に精神科の問題を抱えた人が助けてと言えず立ち止まっているところに医療者がどうかかわっていくかのヒントがたくさん詰まっている。正直元職場にいたケースワーカー等援助職に全力でお勧めしたい本である。

「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか

「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか

 

 さて、援助希求力というのがテーマの一つになっているが、いじめ、セクハラ、虐待、これらを経験しながらそれを人につぶさに話さないといけいないというセカンドレイプを考えると、もはや個人がSOSを出していく時代でもないのかなと本書を読んでいた感想である。

個人がSOSを出すには相当な精神的な負担がある。子供のころの自己肯定感の低さのまま大人になった人に良くありがちな「自分なんか助けてもらうに値しない」という気持ちであったり、そもそも知的障害があり問題を問題と認知していなかったりなど、SOSを出すにあたって壁が存在するようである。

本書は雑誌の一コーナーをまとめたオムニバス形式で「こういう援助の仕方があるのか」と学べることもさながら、「うちの分野ではこういう応用もききそうだ」という新たな発見、「この人がこんなことをやっているのか、面白そうだ、真似したい」という着想も得られる。

そもそもなぜこの本を手に取ったかというと、保育園で看護師をしているが小学校への連携として、あらかじめ心のこと・ヘルプはここに出せばいいということを教えたらよいのだろうか、それとももっと別の方法があるのだろうかと思って参考文献として取り上げたのだ。読み進めているうちに、あとがきにある座談会はぜひとも親世代に広めたい言葉があった。

「自立とは、依存できる場所を増やすということ」

私はこの一文を読んだときに、わかる、ほんとそれ、と思ってしまった。

昨今サードスペースが盛り上がっている。要は家庭、学校(大人で言えば職場)以外の場所やつながりが必要であるということだ。我が家にとってのサードスペースは教会なのだが、一般の人はどうだろうか?喫茶店のオーナーとしゃべったり、趣味の人たちと繋がったり…。

その一方、特に家を持たない人で、ホームレス支援となると「つながり」に辟易してふらっと猫のようにいなくなってしまうこともあるそうだ。

 

病院、訪問看護、住宅提供、それにたまに行政。それらがサードスペースになることにより、自然とSOSが出てくる可能性があると本書の一部分に取り上げられていた。そう、SOSを発するのを待っていたら遅いのである。

本書を読んで、自分の行おうとしていたメンタルヘルスの健康教育をもう一度練り直そうと思い立った。まだ、勉強不足だと感じる。本書を読み、筆者らの活動をよりよく調べていくことで、保育園看護師として伝えられることを伝えよう。そして、年度末に向けての大人も含めた教育を進めていこうと帯を締めなおす思いであった。

【書評】★5 この世界で働くということ

この本が発売されたとき、「仕事を通して神と人とに仕える」って具体的にどういうことだろう?と考えた。聖職者、牧師、伝道者として?教会に奉仕するとして?いや、それだけではない。

筆者はNYでクリスチャンのビジネスマン向け集会を開いていたそうだ。人種のるつぼアメリカの、さらに混とんとしたニューヨークで、クリスチャン人口は3パーセント。そんなマイノリティが”現在勤めている仕事を通して”キリストの愛を伝えればいい。話は実にシンプルだった。 

 

この世界で働くということ 仕事を通して神と人とに仕える (いのちのことば社)

この世界で働くということ 仕事を通して神と人とに仕える (いのちのことば社)

 

 仕事、というと私は「苦痛なもの」と考えてしまう。病棟時代も毎日がつらく、仕事が楽しいって言ってるやつはキチガイだと本気で信じていた。それほどに毎日仕事をしたくなかった。

しかし聖書において創世記の最初の3章までで、神の「仕事」が見られるーーそして「見よ、それは非常に良かった(創世記1章31節)」と評価した。アダムにそののちのことを任せたように、私たちはその箱庭に生きて、箱庭をより良いものにしていく使命が与えられている。私たちクリスチャンが教会以外で働くことの意義は、箱庭を維持する使命があるからである。つまり、教会に関することだけをやっていたら、断然箱庭は発展しない。だから、今の仕事は続けていてもいい。と筆者は述べている。

世界の中でクリスチャンは3分の1程度。3分の2はノンクリスチャンである。そんな中で仕事をするにあたって、私たちは常にキリストの愛をまとって真摯に仕事をすることが、最も神を伝道することにつながると書いているのは印象的だった。ビジネス相手の宗教は問わず、ただ自分自身がキリストの代理人として意識して仕事をすること。それは他者に対する礼儀であったり、公正な判断であったり、悪事を働かないことであったり、上に立つものなら社員に施しをすることであったり。

以前読んだ「あなたが世界のためにできるたったひとつのこと」でも書いてあったが、人に仕えようとするときは必ずしもその最前線にいる必要もなく、お金をたくさん稼ぐ能力があるならその賜物を使って成功をおさめ、それを世界に還元していくことも箱庭をよくするための働きといえるだろう。

 

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本書の最後のほうに考えさせられる章があった。「なぜ仕事はつらいのか?」という問いかけである。お金や昇進、生活のしやすさ、名声を目当てにすると、それが「偶像崇拝」となる。そしてそれに常におびやかされ、その不安定さにつらいと思う。

人は二つのものに仕えられない(マタイの福音書6章24節)ので、”神のために仕事をする”と自分の活動のすべてが自分の手を離れ、常に揺り動かされる給料や昇進、生活のしやすさ、名声を手放し、私たちの不動の岩であられる神様にすべてゆだねられる。仕事においても、神様ファーストでいられる。「仕事に対する考え方のシフトチェンジ」というわけだ。

私は聖職者でも何でもない、一般信徒のヒラのヒラだ。仕事も転職したばかり。特にこれと言って給料も高くない。でも生活はできるし、ありがたいことに貯金も出来ている。贅沢も回数は少ない。大学生の時は「世界を変えるんだ!」くらい意気込んでいたが、今の仕事は私にちょうどいい。

さて今度は、この仕事を通して、神の箱庭をいかに手入れすることを考える時が来たのである。もしかしたら仕事場の人は主から遣わされた人たちかもしれない。むしろ主かもしれない。

主に仕えるように、人にも仕えることを、この先も続けていきたい。そう思わされる良書であった。

★4 キリスト教と日本人

 日本人がキリスト教と出会う歴史を様々な資料を用いて紐解き、そして現代になんと1%以下となってしまったキリスト教への問いを残して終わる新書。

キンドル版で買ったのですが、思ったよりもボリュームもあり、読みがいがありました。

そして相変わらずキリスト教のことしか書いてませんのであしからず。だってキリスト教の本なんだもん(言い訳)

キリスト教と日本人 (ちくま新書)

キリスト教と日本人 (ちくま新書)

 

 日本におけるキリスト教宣教のメインとして一般の方が思い起こすのはおそらく信長時代~禁教時代ではないでしょうか。以前読んだ本でもその禁教時代をピックアップして書いているものもありましたが、本書はそれのみならず、解禁となってからも、戦後になっても、なぜかクリスマスなどの文化は根付くのに来日する宣教師の数ほど増えないキリスト教の不思議を述べています。

wakemeup.hateblo.jp

 

さてはて。キリスト教というものはまず置いといて。宣教というものはたいていの場合何かとトレードの場合が多いと読んでいて思いました。それは戦国時代であれば武器や知恵であったり、解禁後であれば貧困からの救済を積極的に受けた(施し)であったり、現代であれば死への恐怖だったり(がん哲学カフェとか)若い人たちの居場所としての存在だったり…。それでも宣教に来てくれている人は、それらがキャッチーなもので目を引くからやっているわけであって、本当は心から神の家族として兄弟姉妹として迎えたいのだなぁと、本書のニコライ堂で有名な正教会のニコライの部分を読んでいて思いました。

ニコライはサンクトペテルブルグから当時鉄道もなかったため馬車に乗って東の果てまで来て海を渡ったそうです。30歳以下で来日、亡くなるまでロシアには帰らなかったそうです。まさに、すべてをかなぐりすてて日本のために生きた人でした。宣教だけのために来日していたのなら、あまりの根付かなさにとっととあきらめてロシア東部で信仰を広めたほうがずっと楽だしマシです。

そう、日本は沼地と言われています。遠藤周作の沈黙でもよく抜粋される言葉です。沼地に種を植えてもいい芽は出ない。これはイエスの語られた言葉から着想を得ているものですが。

"「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、
日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。
また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実を結ばなかった。
また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」"
マルコの福音書 4章 3〜8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

現代でも東アジアは宣教のメインとなっており、特に中国は爆発的に増えています。逆境の中にいるからかもしれませんが。だから宣教も日本でするより中国のほうが迫害もあるかもしれませんがずっと「穂を刈り取る」にはもってこいなのです。

それでもなおニコライの時代から現代にかけて宣教師が来るということは、私たち日本人は永遠に見捨てられていないし、沼地であっても種をまき続けるのは、ひたすらに愛しているからなのだと感じました。

私自身、オーストラリアからの宣教師によって導かれました。例にもれず英語力とのトレードです。そのつてで世界各国のクリスチャンの友人を訪ねて回りました。誰もがホスピタリティ溢れた招待をしてくれました。外国人だからではなく、友達だから、でもなく、神の家族において私たちは兄弟姉妹だから、と。私はこのイエスを長兄とした神の家族という言葉に感銘を受けて、受洗にいたりました。

 

さて、クリスチャンの数が増えれば安心なのでしょうか?それはまた違うと思います。それならカトリックの家族がたくさん子どもを産んでよくわからないうちに幼児洗礼を施して数だけ増やしてもいいわけです。そうでなく、聖書には「行って、世界中に弟子を増やしなさい」と書いてあります。

"イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」"
マタイの福音書 28章 18〜20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは、教えを聞いて満足するだけでなく、教えを実践するものでなければならないのです。

 

さて、宣教は今度は置いておいて。

今回読んだ本も、イエスの語られたことは「教」でなく「道」であるとも述べらています。このくだり、面白いなと思いました。

現在、日本でも下を見れば様々な問題は山積しています。特に子供の格差や貧困にはいつも心を痛めています。世界中とは言わずとも、マザーテレサも言ったように自国にも問題はあります。クリスチャンはキリストに倣って、キリストという道(ヨハネ14-6)を通って、この世の光(マタイ5-14)としてノンクリスチャンとも分け隔てなく問題を解決しあえる存在であってほしい、そして私もそうありたいと祈ります。

【書評】★5 ごみ収集という仕事:清掃車に乗って考えた地方自治

 ちょうど子供とYouTubeで自分の住んでいる自治体のゴミ収集がどのような流れで行われているのかを特集した短い番組を見ていた時だった。

息子が「ごみしゅうしゅうしゃ!」と喜んで手を振っている。ゴミ収集車は子どもにとって非常になじみ深い。保育園の前にも資源ごみの回収場所があるし、うちの自治体は音楽を流しながら車がやってくる(引っ越してきた際には驚いたものだ)。

ゴミ収集の方々も保育園の子が手を振るのをにこにこして手を振り返してくれる。暑いのに長袖だったり、ごみは重かったりできっと大変だろうと感じていた時に、本書を手に取った。

ごみ収集という仕事: 清掃車に乗って考えた地方自治

ごみ収集という仕事: 清掃車に乗って考えた地方自治

 

 本書は研究者である筆者が実際に新宿区のゴミ収集員となって見えてきた実情と、東京都のゴミ収集システムをつづり、自治体によって差があるがこのような仕組みのもと動いているのだということを教えてくれる良書である。

なぜ良書といったのか?それは、筆者がお客様対応ではなくほぼ一年ほどしっかりゴミ収集を続けていたことから見えてくることが書かれているからである。すなわちそれはゴミ収集員の一日であったり、なぜゴミ収集という働き方を選んだかであったり、ごみ収集員の仕事にはごみを集めるだけではないということだったりーーつまりは目からうろこの情報がたくさんあったのである。

なぜゴミ収集員は真夏でも長袖なのか?--それは生ごみをゴミ収集車がクラッシュしたときに中身が飛び散る可能性があるから。

なぜここで働いているのか?--下請けのため残業代が出ず、きっかり帰れるから。また車の運転手が別の会社の人間でそちらのほうが給料が高かったりするから。

なぜ時間通りに回収していくのか?--ごみ処理場の処理時間に間に合わせるため。

 

この本を読むたびに、マンションで一人暮らしをしていた若い時代、ごみをあまりきっちり分別せず、とりあえず燃えるゴミに入れていたことを本当に申し訳なく思う(私自身の実家はリサイクル施設が粗大ごみしかなく、他は燃えないゴミ以外は大体燃やしていたのも習慣がついていない理由の一つかもしれない)。

筆者が飛び込んだ新宿区といえば歌舞伎町など飲み屋街が多いためルール無視というよりルールが読めない人も多そうだ。そういった人たちにどのようにアプローチをするか、当然苦情対処も仕事のうちのだそう。そういえば、大学の時に住んでいた地区も、ごみ出しのルールが守られていないランキング1位であったことを思い出す。大学に「ごみの分別はしっかりして、決められた曜日に出しましょう!!」と書かれていたのを思い出す。

今でこそ兼業主婦になりマンションでないためいつでもゴミが出せるわけではない。家のごみを集めて回る係になったことからゴミはしっかり分別するようになったが、

どうやら私たち一人一人がゴミ分別はしっかり行ったほうが良いようだ。それはゴミ収集の場で働く人たちのためだけではなく、リサイクルや燃焼の効率を考えるともう今日から実践するしかない。

この話を子供向けにかみ砕いたような絵本が本屋においてあるのも見た。また自治体によっては担当の者が無料でゴミ分別講座を開いてくれるところもある。大人だけでなく、子供のうちからゴミの流れ、分別、リサイクルについて意識を持たせることも、人として社会に生きるものの使命かもしれない。

それから、ごみ収集員さんを見たら、必ず手を振ってありがとうございますという。おかげさまで、地域はいつもきれいです。

★5 あなたが世界のためにできるたったひとつのこと

私も寄付をしています。教会での献金も含めると、献金ふるさと納税、プランジャパンのBecause I am a Girlプロジェクトです。

献金は別にしておいて、私もお金を稼ぐ(とはいえ大したものではない)ぐらいしか能がないものだから、せめてチャリティに回そうと思い、この春からはプランジャパンのBecause~~プランに毎月寄付をしています。

https://www.plan-international.jp/girl/

 

この本は、四年ほど前に書かれた本ですが、そういうなんちゃって寄付でちょっといい人生を気取ってみてる根本的な罪深さが浮き彫りにされ、本当にそのチャリティ先でいいのか?を改めて考えるきっかけとなった本です。

 どこかに寄付をしようとして月1万円を握っているとした場合、このお金で最大限の幸福をもたらすチャリティ(NPOなど)はどこか?そんなこと、考えたことありましたか。本書にも「人は自分がかかわった分野、自分が苦労して通った道などに寄付する」と、効率度外視で感情で寄付するようです。私自身も、女だから、という理由で差別された経験もあり、先に述べたプランジャパンに寄付を始めました。お金を出すだけで、その効率を考えていなかったのです。

どの分野もお金がなければ仕事が回りません。例えば私が握っているこの一万円で、先進国の美術館の改修に寄付をするのか、はたまた貧しい国の、その中でもさらに貧しい国に寄付をするのかとします。どちらに同じだけの金額を出してどれだけの命が守られどれだけ健康的に文化的に長く生きていけるか。本書のタイトルにあるように、まさに”効果的な””利他主義”を貫くのであれば、間違いなく後者の貧しい国に寄付をするでしょう。

効果的にお金を使ってくれるNPOを分析し紹介するサイトまであるなんて、お恥ずかしながら本書を読むまで知りもしませんでした。

www.givewell.org

また、本書では収入の半分かそれ以上を寄付に回す人の事例が紹介されていたり、お金をたくさん稼いで寄付をするのベストなのか、それともNPOに就職して最前線で働くほうがいいのか?を問う章もあり、非常に考えさせられる本です。もっと言えば、昨今日本でもよくある子供一人に対し3億円近くかかる手術費や渡航費についてもバッサリ(こちらのほうが効果的らしい)。意外に効果的だと思っていたことも、実は効果的ではなさそうであるということは私の中では驚きでした。

24時間テレビツイッターで話題のお金100万円あげますキャンペーン。さてはて効果はいかほどなのでしょうか。ここの分析があると非常に楽しくなりそうな分野です。

 

全員が全員寄付をしろという本ではありません。ある程度本を読む心と時間と少しの余剰なお金がある人向けです。

本書にもちらっとキリスト教の教えに従って寄付をする人はいますが(やもめや孤児にやさしくしなさいというイエスの教えがあります)、他で言えば喜捨、チャリティー、ノブレスオブリージュ・・・。文化として根付いている部分もあります。

このエントリーを見た中で寄付ができる状況にあって、誰かのために寄付をしたいな、と思っている方は、今一度寄付先をしっかり見つめなおすこと、そして本当に満たしたいのは「自分の欲」ではなく「誰かの人生」であることを本書を通して認識させられるでしょう。