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【書評】★3 迷える社会と迷えるわたし

  私の中で筆者のイメージは、「精神科医でよくワイドショーに出ていて著書もたくさんある、原発と9条に反対なよくある人」と認識していたので、そこに「立教大で研究をしていて、キリスト教にも興味があるし小さい頃は教会に細々通っていた」というのが加わったことに驚いた。正直、この側面を知らなかった人もいるだろう。

迷える社会と迷えるわたし 精神科医が考える平和、人権、キリスト教

迷える社会と迷えるわたし 精神科医が考える平和、人権、キリスト教

 

  私がこの本に★3をつけた理由は、本書が著者によってきちんと書かれた部分が少ないからである。講演の文字起こし、あとはインタビューのまとめ。とくに講演はタイトルにもある通り「迷えるわたし」を如実に表すように、一貫性がないというか「これを本としてまとめて売っていいのか」と感じてしまう。

 本から学ぼうという姿勢を捨て、「こんなにテレビに出ている人でも根底ではいろんなことに迷っているのね」と知ることで、筆者の弱い部分を知ることをこの本の目的とするならば★4になりそうだ。筆者の熱狂的なファンがこの本を通して「強そうに見えるけれど本質のところでの人の迷い」を知ってもらえればいいと思った。

 一方、キリスト教カウンセリングに精通している人にはおなじみの賀来周一氏とのインタビューは面白い。筆者も学生に対して先生としての相談を担当しているようだが、なかなか立教大のチャペルにいるカウンセラーにつながらない、立教大のチャペルの昼礼拝にはほとんど人がいないなどを嘆かれていた。キリスト教の、とつくと一瞬にしてうさん臭くなるらしい。

 私の想像で、悪い言い方だが、立教の偏差値だと私立ミッションスクール育ちの人よりも一般の公立学校から受験してくる人のほうが多いから、教会になじみがないのだろう。普通の日本人にとって宗教は甚だ胡散臭い。特に一神教なんてもってのほか。インタビュー内でもあったが、それでもパワースポット巡りやお遍路さん、御朱印集めなんかは人気があるのは日本人において不思議な感覚である。

 その他のインタビューも、カウンセリングに対する悩みなど臨床の場で活躍している職業人ならではの対話もあり、医療者も参考になるのではないか。

 

 この世に悩み、苦しみを持っている人は、何かにすがろうとする。顔をそむけることにより問題を解決しようとする。趣味、仕事、音楽。この辺は健全な考えだ。この世にはインターネットが普及した途端、あれやこれや爆発的に「顔をそむける先」が増加した。だからこそ迷う。次から次へと生まれ、そして消えていく娯楽にけんけんぱをしながらなんとかやっていく。もし次の踏み場がなかったら?片足を地に置きたくてふらふらしている、これが筆者の数々の著作が言う迷いなのではないか。

 余談だが、筆者は洗礼をすすめられているがまだ迷っているそうだ。あとはすべてを神にゆだねるしかないだろう。精神科医、研究者、コメンテーター、作家…数々のペルソナがはがれてきたときに、そこに残るものがなにか、この先のことを天に期待したい。

 

 キリスト教に関する本なので、せっかくだから最後に聖書を引用したい。

"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」"
ヨハネ福音書 14章 6〜7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会