いろいろなことに挑戦する記録

二児のワーママ、人生を合理的に進める記録

★5 わかりあえないことからーーコミュニケーション能力とは何か

 私は看護師として新卒でとある病院に勤めたが、リアリティショックが非常に大きかった。それは就職した科が、多くの人はある意味自業自得でなってしまった病気であったため闇が深く、また病棟に入院している他の科の患者さんでも一年以内に亡くなってしまうことも当たり前だった。つい、この前まで元気な学生しか周りにいなかったため、都会の闇の深さを知り、まさに「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」。

 この人たちのことがわからない。むしろ軽蔑さえ覚えてしまう。そんな患者を侮蔑するような自分にも嫌気がさす。私は趣味に大金をつぎ込み仕事では感情を閉ざすことにより、病棟時代を生き抜いた。

 なぜそんな病棟時代のことを書くかというと、筆者は大阪大学コミュニケーションデザインセンター所属の演劇家であり、工学部や医学部が名高い大阪大で学生に対して演劇を通したコミュニケーションで教鞭をとっていたそうだ。もし私がその授業を受けていたら、多少はあの時のリアリティショックを緩和できたかもしれない。

本書は「コミュニケーション能力とは何か」から始まる。コミュニケーションというと口と口との会話・対話・議論あるいは論破。そのように取られることが多いし、実際企業が学生に求めるものはそれを指している。しかし本書ではコミュニケーションとは演劇も含む、ダンス、スポーツ、表情、音楽など包括的なものであると解説し、企業が求めるものと、それまで育ってきた学生のコミュニケーション能力のダブルバインドの存在を指摘している。

筆者は全国の中学校高校を行脚し演劇を通してコミュニケーションの方法は人それぞれであるということを伝えて回っているそうだ。教師をはじめとする大人は子どもに表現を「教え」固定化する。テストで「筆者の気持ちをこたえよ」と出題しみんな同じ答えを要求する。それでいてみんな違ってみんないいだとか、自由な発想などを求める。表現者として、現在の教育システムに疑問を持っているようだ。

人と人は別の生き物であるから初めから「わかりあう」のは無茶な話である。確かに他者のすべてを一瞬では理解できなくても、ほんの少しの練習とスキルでその場の感情は理解できることが多い。わかりあうこと・関係を構築していくこともまた練習、すり合わせなのである。

本書の語り口は非常に物静かである。しかし不思議なことに、どの言葉も私たちが忘れていたことを思い出させてくれる大切な言葉だ。大声を出さなくても、言葉や文脈にカリスマ性がなくても、この本にはコミュニケーションをもう一度考え直させる力がある。

大阪大学COデザインセンター|CENTER FOR THE STUDY OF CO* DESIGN

科学・医学、いわゆる理系と言われるものでも、今では表現が求められる。ぜひ理系の人々にお勧めしたい一冊である。